文明の進歩と家族の幸せ

 文明の進歩が人の幸せに直結するわけじゃない時代というのもどうなんだろうか。
 こんばんは、積希です。

 今回は一週間ほど前に「ガイアの夜明け」を見ていておもったこと。
 『中国とどう向きあう?農村少女とトヨタの10年』
http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber3/preview_20120529.html

 実は前半部分しかみてないです。トヨタどうこうってより、普通の人が中国の急激な経済発展にどう変化していったのかというのを見たかったという理由なので。

 まさに日本のバブルのころなんら変わらないし、むしろ急速な速度で今の日本に追いついちゃったのかなと。
 しかしなにより印象的だったのは、少女の実家に残った老婆と母の姿。それと農村部の荒廃っぷりか。
 子供はいつか親元から離れて、結婚して、自分の家族をつくってというのは当たり前の営みなんだけど、老婆が身体を壊しベッドに横になりながら、ただ「家族と一緒に過ごしたい」と言っていたのが、印象的すぎた。
 技術が発展し、生活が潤沢になって、生活にコストがかかり、農業では食べていけなくなり、都市部に出稼ぎにでる。若い人は出稼ぎにいくため、田舎からいなくなり田畑を耕す人がいない。そして都市部にいないと仕事が無いため、田舎には年老いた人間しかのこってない。
 なんだかなぁ……と。
 もっと家族が一緒に暮らせる社会はこないもんなのかなぁと。

 結局、都市部に若年者を吸い上げて、都市部にしか仕事がありません! 都市部と田舎の経済格差は3倍です! とかなってて、じゃあ家族を都市部に連れてきて養えるかっていうと家賃上がったり生活費上がったりで無理。 じゃあ田舎に帰って家族を養えるかっていうと仕事が無い・収入が足らないっていう状態がある。
 ここ最近生活保護とかも良く話題になってるけど、結局現状のこういう構造をどうにかしないと都市部でお互いを食いつぶし合うのと、田舎に活力がなくなってますます廃れるっていう問題があるよねと。そうなると結局最後はどこか生活保護に頼らざるを得なくなるなぁと。
 そういう状況を生活保護を叩いてる人はどうみてるのかなぁとか。

 どっちにしても技術の進歩で雇用が生まれて、みんなが一時的に裕福になったけど、最後にはそれが終わった時に夢から覚めるようにいろんなものがなくなっているのはどうなんかなぁとおもってしまいました。

 積希さんは平凡に生きている人を応援します。